TwilightSmile

 ~ 定年 another story ~

還暦原点考察3~『青春は短い。宝石の如くにしてそれを惜しめ。』~

先日こちら記しましたが、長い休みにある私は、日中、ふっと、いろいろ考え、いろいろ思い出します。
それは、考えては消え、思い出しては消え、、と刹那的なものです。なので、書き残しておかないと二度と思い出さないかもしれない。それはもったいない。。
と考え、今日もふっと思い出したことを書き残します。(消えゆく記憶メモ)

・・

青春は短い。宝石の如くにしてそれを惜しめ
 俗卑と凡雑と低吝とのいやしくもこれに入り込むことを拒み、
 その想いを偉いならしめ、その夢を清らかしめよ。
 夢見ることを止めた時、その人の青春は終わるのだ。』
 ~倉田百三『愛と認識との出発』より~

遠い記憶を思い出した。
哲学科の学生であった私は倉田百三のこの言葉に触れ、放蕩をしていた私の魂は根底から揺るがされ、青春を如何に生きるか、真摯に向き合う契機を得たのであった。

私は本棚より古い文庫本を引っ張り出してきた。
表紙はぼろぼろ、黄ばんで変色した本を開くと、40年も昔の私が引いた傍線と書き込みが多数見られた。
食い入るように私はそれらを読んだ。青春の頃の私を彷彿した。
そして今の私を考えた。
還暦の私。

(思えば年を喰ったものだ。)

私は60年も生きてきた。
されど、疾うに「夢」は失せ、もはや私の青春は終わって久しい。

『青春は短い。宝石の如くにしてそれを惜しめ。』
『夢見ることを止めた時、その人の青春は終わるのだ。』

還暦原点をして私は再び青春の頃に戻って新しい頁を開こうとする。
であるならば、この言葉の「青春」を「茜秋」に置き換えて、私は今一度この言葉の意味を噛み締めるべきだ

『茜秋は短い。宝石の如くにしてそれを惜しめ。』
『夢見ることを止めた時、その人の茜秋は終わるのだ。』

60年生きてきた私に残された時間は20才の頃より格段に短い。
父は59で死に、母は76で亡くなった。
前職の先輩は61でこの世を去った。
我が人生はいつ終わるかしれぬ。

茜秋時代は青春時代よりも明らかに短い。
私に残された時間は僅かかもしれない。
宝石の如くにしてそれを惜しみ、夢を見て、私は生きよう。