定年で再雇用辞退をし退職していなかったら今頃どうしていただろう・・。
行き先が定まらぬままの状態で弱音を吐くようにふっと思った。
たぶん、関連会社に転籍して働いているのだろう。
業務は分かった内容でやりやすく、周りは知った顔が多くストレスをためることもなく、時の流れに身を任すように変わらぬ日々を過ごしていたのかもしれぬ。
その方が安定した道だったのかもしれぬ。
一方で、それは定年しても時は止まらず定年前と後で継続しているということであって、たぶん、私は有休消化などせず(ましてイタリアに旅行しようなど思わず)、定年ぎりぎりまで仕事をし、定年退職、その翌日から再雇用で役職を離れた以外はそれまでと変わらず出勤し仕事をしているように思える。
立ち止まりこうして考えている時は無かった。たぶん。
そんなことを思いながらまた考える。
かく考えている私は何者だろうか。
還暦を原点として新しく生きようとする私は何者だ?
・・
そして遠い記憶を思い出した。
(cogito ergo sum コギトエルゴスム。だ。)
疑わしいものは全て疑い得る不確かなものとして排除した上で、
疑い得ない確かなものがただひとつあると到達したのが考える私。
真理を求めるための方法としての懐疑。方法的懐疑。
(そうだった。)
(考える私は疑い得ない私だった。)
突如として思い出されたこの言葉に私は突き動かされて本棚から埃のかぶった一冊を手に取っていた。
古い古い文庫本。
『方法序説』(デカルト)
古い文庫本を読み漁り、考えて時を過ごしている私。
紛れもなく今私はここにあり、ここで考えている。
私は何者かと問えば、私は今ここで考えている私である、が答えだ。
方法序説を読むのは学生時代以来。
若き日の自分を思い出した。
そして。
これからの私は、私が私として生きる道を歩もう。
私という存在を私自身が見失わないよう生きよう。
そんな道を探そう。
そう思った。
・・
こうして古い文庫本を読み漁り、時を過ごして・・一日は暮れました。(汗)
今日も一日傍から見ればだらだらと過ごしてしまったようにもとれます。(激汗)
考えても動かざれば事は何も起きません。(よね)
さって、どうしよっかなぁ。(意外と明るい)