今年(2021年)の最初の定期受診の際に、担当していただいていた医師が4月以降に転勤されることを告げられました。もともと某国立大学から来られていた医師。大学に戻り4月からは別の医師が来るとのことでした。
数年何事もなくただ経過観察をしていただいただけと言えばそれだけの関係ですけれど、それはそれで私の症状をよく分かっていただいていただけに正直残念に感じました。でも当方ではそう言われてしまったらなす術もありません。「はあ。そうなんですね、お世話になりました」とお伝えするばかりです。ただ気になることは、そう、次の担当医です。で、「次の先生はどうなりますか」と尋ねました。
するとまた同じ大学から別の医師が来るとのことで、「大丈夫でしょうか」と何気に漏らした不安に「大丈夫ですよ」と優しく微笑まれて決め打ちされました。そして割とあっさりとこれまでと同じように次回の予約を4か月後に取りました。
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さて4か月後の今日のことです。私は予約された日時にいつも通りに病院に行きました。いつも通りまた経過観察と言われるのであろう。医師が変わるだけで私は何も変わってはいないのだから。いつも通り診察前にレントゲン取ったり血液検査をしたりして。いつも通りに少し待って、いつも通りに看護師に呼ばれて診察室の中に入りました。
新しい先生は30代そこそこに見える若い医師でした。
簡単に挨拶して椅子に腰かける私。
すると先生、レントゲン画像を見ながら・・
いつもと違うこと を話し始めたのです。
「このままではこのまま、いつ悪くなるかも分からない。
そろそろ薬を飲まれたらいかがでしょう。
ただこの薬は高いんです。一錠6000円くらいします。
そのため医療ソーシャルワーカー(相談員)から説明があります。
診察の前に2階の患者支援センターにいって話を聞いてきてください。予約してありますから。」
と突然とそんな話をされたのです。
なんだなんだ、この先生。いきなり思いもしない展開。
そもそも一錠6000円てどんな薬よ?
いきなりすぎて何が何だかさっぱり分からない。
「え、そんな高い薬、飲まなくてはならないんですか?」
先生曰く、間質性肺炎は治す薬がない。
しかし進行を抑える薬はある。
オフェブという薬である。
この薬は悪くならないようにする薬である。
副作用は下痢である。
・・このままではこのまま、いつ悪くなるかも分からない。
ただ高い。なので費用面での説明を聞いてどうするか考えてほしい。
ということであった。
言われるままに指定の場所に行くと、若いソーシャルワーカー(相談員)がこちらへどうぞと。で、「指定難病医療費助成制度」という制度の説明をされました。それって、いきなりはじめて聞く話ですし、よく理解できませんでしたが、簡単に言うと認定されるといくら医療費がかかっても助成により月1万円程度で済むっていう制度らしいってことは分かりました。(はあそうなんですか)と答える私でした。
また高額医療費制度についての説明も受けました。
ま、これはFPの勉強をしていた関係上、知らないわけではない制度。ただしまさか自分がその制度を利用するなんて思いもよらなかったので、うろ覚えの知識。説明を聞きながら(へえそうなんですか)と他人事のように聞こえたものでした。
「ではよろしくご検討ください」、「はあ検討します」、てな感じで話は終わりました。
・・
そのあと診察室に戻り、呼ばれるまで診察室の外でしばらく順番を待ちました。
名前を呼ばれて診察室の中に入り腰掛けると、先生曰く、答えを待っていたとばかりに、「どうでした?」と。
「どうでしたかも何も、定年後の今の私に一錠6000円もする薬を飲み続ける経済力はないです・・。」と私は答えました。
そして少し考えて、「うーん、「指定難病医療費助成制度」、ですか、それが通って月1万円程度になるって言うんだったら、わが身のため、他を削って服用するのも吝かではないかもしれないですが・・。と言いますか、いますぐ結論は出せませんです。」
「そうですよね。」と先生。
私「はい・・。」(また少し考えて、思い付きで)「でもま、助成制度の申請はできるんならしてみたいと思います。月1万円程度になるんなら(それでもデカいけど)。でも自覚症状は全くないんですけどねぇ・・。」
先生「悪くなって自覚症状が出てからじゃ遅いんですよ、。では申請に必要な検査の予約をしましょう。・・(以下略)」
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病院を出た後、その足で保健所に行き、「指定難病医療費助成制度」申請に必要な書類の説明を受けました。
なんだか大変面倒なことになってきました。
まさにターニングポイント、転機来たり。でしたね、今日は。
そしてこれは私のもう一つの物語の第2章「辿り着いた町」こちらでの大きなターニングポイントになるのかもしれません。