先日66歳になりました。昨年65歳になった時(こちら)は、「こまかいことはどうでもよいではないか。どうとでもなる。ささやかなこの人生、全うするのみ、」などと達観していたのですが、今の私はこの間医者に言われた「(特発性間質性肺炎の)急性憎悪はいきなりおこることもある。経過観察を続けてかれこれ8年もなり、これは結構まれで、このまま将来的にこのままであることはなく、いつか、その時がくる(こちら)」という言葉にかなり動じてしまっていて、とても「どうとでもなる」などという余裕は心から失せてしまっています。
私は「いつかその時がくる」ことを覚悟して生きていなければならないのであって、健康に長寿を夢見て生きていられるワケじゃないのだ。ついついそのことを忘れて、チョコザップに通って体内年齢の若さに喜んで、65歳の就職活動に一喜一憂し70歳での就職活動はどうなるんだとかさもこのまま長生きしてゆく錯覚にとらわれてしまっていた。「いつかその時がくる」そしてそれは突然に明日にでもあり得る私なのに。
そう、調べればわかること。特発性間質性肺炎、余命、で検索すればすぐわかる。「急性型では3ヶ月以内で死亡、慢性型では4~5年で死亡。5年生存率36.6%、10年生存率22%」。つまり「経過観察を続けてかれこれ8年」の私は30%~22%のきわめて長い生存率にあるわけだ。医者が家族に話すのももっともなこと。のんきに他人と同じく生きていられる状況にはいないのだ。あと何年生きられるかも分らぬのに。
かと言って、どうすることもできないのも事実。なるようにしかならないのだから。ただやりたいことがあったら早めにやっておいたほうがよいのだろうなと思う。しかし、やりたいことってなんだろう、自問してみるとぼんやりとも浮かんでこない。あらら。私は死を前にして何をやりたいのだろう。おかしいな、何かあるはずなのに思い浮かばない。もしや何もないのか。うすぼんやりと見える「暮れなずむ空に光るもの」はいったいなんなのだ?
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ともかく。「いつかその時がくる」その前に身辺整理をしておかなければならないね。2022年からほったらかしにしておいた「身辺生前整理ガイドライン(こちら)」に基づいて思い切った整理をしておこう。私がいなくなった後、妻や子どもたちに迷惑をかけないために。
そしてあと2年は生きたい。正確には妻が60歳になる2027年(令和9年)の6月まで(こちら)生きたい。そうだ、これだ。これが私の望みだ。何をやりたい、ではなく、あと2年は生きたい。今の私のまま生きたい。今の私のままこれまで通りに生きていたい。これだ。これが66歳の今の私の願いです。
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