TwilightSmile

 ~ 定年 another story ~

出発前、もうひと時、省察と静思の時

今の私の本音。
実際60歳定年再雇用辞退という立ち位置は最初で最後、なので立ち止まって実態を見てみたい。FPで学んだことを身をもって確かめてみたい。進むべき道を決めるのはその後でも遅くはない。
と考えています。

平均寿命で人生80年として残り20年。
私に残された時間はあと四分の一、たったの20年です。
それも、いつ終わるかもしれない、明日終わるかもしれない。

人生を振り返ってみればこの数か月の足踏みは瞬くくらいの小休止に過ぎない。
この貴重な一瞬を有意義に使って確かな“何か”を掴みたい。
次走り出したら突っ走って終わる覚悟を持ちたい。
そう思っています。

なので出発前のもうひと時、省察と静思の時。

・・

近況備忘録。
既述(こちら)ですが、私が定年退職で厚生年金を外れたため、私の妻は3号被保険者から国民年金1号被保険者へ変更手続きをしなければなりません。
本日パート勤めの妻が休みでしたので、妻とともに市役所でその手続きをしてきました。さっそく支払いかと思いきや、役所から年金事務所に連絡がいってその後、日本年金機構から振込用紙が送られてくるとのこと。だいたい1か月かかるとのことで振り込みは7月になるでしょうとのこと、でした。
付加年金についてもしっかりと説明してくださいました。これってたかだか月400円ですけれど、2年で元が取れるとても投資効率が良い制度です。そしてこれは国民年金の加入者のみが付加できる年金です。もちろん付加申し込みをいたしました。(付加年金もFPで勉強する内容ですね)

その足で銀行に行き任意継続保険料の振り込みもしてきました。
5万近くでけっこうな金額です。(ふー)

振り込み後、残額を確認すると早々に退職金が振り込まれていました。
ありがたいことです。ほんといい会社に勤めていたなぁとしみじみ思います。

・・

明日はナイターを見に行く予定、明後日は定年退職した会社の元同僚と飲む予定。
(なので2日間ブログはお休みかもです)

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定年退職者の基本手当の給付日数(一般的に言う失業保険の給付について)

41歳で転職した際(こちら)は自己都合でしたので3ヵ月の給付制限がありました。
では定年退職者は、というと7日間の待機期間の経過で支給となります。
給付日数は20年以上の算定基礎期間で150日です。

基本手当日額の上限は7042円(60歳以上65歳未満)。
上限で150日満額で支給された場合、150日間で1,063,050円。
月額で20万弱ですね。

就業促進給付として再就職手当というのもあります。
日数の2/3以上残し再就職した場合は支給残日数の70%×基本手当日額※
日数の1/3以上残し再就職した場合は支給残日数の60%×基本手当日額※
※ただし60歳以上64歳未満の基本手当の上限は4914円

ということは私の場合は・・。
給付50日(2/3、100日残)で再就職した場合、再就職手当は約34万円。
給付100日(1/3、50日残)の場合は約15万円弱。ですね。

(以上、これらはFPの試験勉強で学ぶ内容です)

雇用保険料は会社と従業員の双方が負担します。
私は60歳にして初めて基本手当を受給するのですけれど・・!
こんなものなんですかねぇ。

・・

だからなんだというワケではありません。
今は、まずは早くハローワークに行って60歳以上の求人状況の現実を身をもって確かめたい。そんな思いにかられてます。

(きっと厳しいんだろうなぁ。)

と思いつつ何故かワクワクしてたりしてます。(怖いもの見たさ?笑)

 

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定年しての各種手続き

とまれ定年しての各種手続きをしておかなくてはなりません。

さしあたっては
①健康保険の手続き
②国民年金の手続き
③ハローワークで求職の手続き です。

・・

①の健康保険について。
私の場合、定年退職前の年収が保険料に大いに影響しまして、国保よりも任意継続の方が比較すると安いこととなりました。(有休期間中に市役所で確認済)
ただし安いといっても私の離職した会社は協会けんぽではなく組合健保でしたので、平均報酬月額が高額なため保険料はけっこうな金額になってしまいます。・・任意継続者として資格を取得するためには10日までにその保険料を振り込まないといけません。(全額自己負担なのでキツイですね。)
任意継続の手続き自体は在職中に済ませておりましたので、保険証は既に早々に健康保険組合から届いております(ありがたいことです)。

②の国民年金について。
60歳になった私はもう年金を収める必要はありませんが、私の妻はまだ50代ですので国民年金1号被保険者となります。そのための手続きをしなければなりません。(これも有休期間中に市役所で確認済)
今後は月々16,410円妻の年金を収めることとなります。(コレモキツイデスネ。)

③は退職した会社より離職票が届いてからになりますが、雇用保険の基本手当を受給するための手続きでもありますので、当面無職の私にとってはとても重要です。

その他、住民税納税通知書が届いたらその払い込みも必須ですな。(無職でもね)悲

(ま、どれもこれもFPでした勉強が役立っています。というか実践してます)

・・


閑話休題。
ベランダのサボテンの花が咲きました。

 

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クジャクサボテン?

明確に分かっていることは、今の私が無職であること。

そもそも180日前に私はこのブログを始め(こちら)、淡々とプロローグを綴り、5月の定年後が「本章」と位置づけ(こちら)、これまで「前章」を書いてきました。
定年退職した私は今やっと出発点に辿り着いたわけです。

ですが、出発点に立ったはいいけれど、正直なところ私のもう一つの物語の構図はまだ定まっておらず、未だ私はどこへ向かって進んだらいいのか決めかねています。
私は時の流れに押し出されるように「本章」に入ってしまいました。


今の私が明確に分かっていることは、私が無職であること。
それも自ら進んで無職になったこと。
このまま何もしなければ先行き立ち行かなくなること。です。

・・

定年に際しての選択はいくつかありました。それは、
①再雇用で働き続ける。
②辞めて再就職する。
③起業する。
④リタイアする。など。

①はクィット(quit)しました。
④では私の物語が終わってしまいます。

ということは②か③になりますが、③はいったん白紙に戻しておりますし(こちら)、さてどうすべきか、もう少し歩きコマを進めながら考えようと思います。

ただし・・
定年退職した私の雇用保険の基本手当の給付日数は150日です。
時間はあまりないのも現実です。


・・

近況忘備。

定年挨拶状投函しました。
百貨店にゆき定年祝いをいただいたお客様にお返しを送付しました。
定年しての手続きをスケジューリングしました。(明日より実行)


そして私にとって忘れ得ぬ出来事。

昨日(6月1日)、息子がやってきて定年のお祝い品をくれました。娘とふたりで計画し秘密にしていたとのサプライズで、思わぬことに不覚にもうるうると熱いものがこみあげました。
息子よ、娘よ。お父さん、うれしくてうれしくて言葉にならないよ。ありがとう。

 

 

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出発の風景(創作詩的文章)



ある日僕は僕が僕で無くなったことを知り
僕が思い出の中に生きていることを知り
僕の太陽が傾いていることを知り

気がつけば僕は海の見える果てに佇み
暗黒が迫っていることを知り
自分が終わりつつあることを知る

伝う涙を拭っても拭っても
涙は溢れて止まらない
もう終わりなのか俺


小舟を一艘海に浮かべて
大海原にひとり旅立とうとするも
行き先が分からぬまま波に流されて

終わり往く風景の中浮かんでいると
風が海を渡り異国の地へと誘って
その方角に目をやると連なる大地

見知らぬ土地のはずなのに
行ったこともないはずなのに
なんて懐かしい風景なんだろう


空と海と風よ
思い出したよ

落ちる太陽に涙するのではなく
自ら光る努力をすべきだということを


空と海と風よ
思い出したよ

これから私は再生する

もう一度自ら光るんだ


(辿り着いた風景(改))

・・


序章~出発の日々~

定年の日。Note ~出発の歌 -失われた時を求めて-~

『乾いた空を見上げているのは誰だ
 おまえの耳をふさがせたものは時計の森
 自由な日々が失われた時に
 残されたものは出発の歌

 さあ今銀河の向こうに
 飛んで行け

 さあ今宇宙に さあ今未来に
 さあ今宇宙に さあ今未来に
 飛んでゆけ 』
(~上条恒彦+六文銭~歌詞:及川恒平 作曲:小室等)

 

・・

本日定年しました。
明日からは失業者。

自由は社会的義務・責務を果たしてこそ。
無職になる私に残されたものはたびだちのうた。

 


出発の歌 -失われた時を求めて-

定年の日まであと1日。Note ~CAROLと私~

いよいよ明日定年です。
今日一日明日を前にしていろいろやろうと考えていたのですけれど・・。
ほぼCAROLをYouTube動画で見て過ごしてしまいました。(汗)

まず朝いちばん生前整理をしようととりかかったんですよね。
ところが長年しまいこんでいたエレキギターがでてきて。
手にしていろんなこと思い出してしまって。

もう30年以上弾いていないエレキギター。
ああそうだった、私はCAROLが好きだった、と。
懐かしくてYouTubeを検索して・・

・・

40数年前の私。
ビートルズに憧れ、バンドの真似事をしてた中学生だった。
その私をいかしたバンドが鮮烈に通り過ぎてゆきました。

CAROL。


【HD・720p】グッドバイ キャロル good Bye Carol キャロル解散公演 日比谷野外音楽堂 (1975)

 

この動画見て無性に涙がでて・・。

・・

オレ、この解散公演、見に行ってたんだよな。
日比谷野音。

長い列並んで、途中クールスのあんちゃんたちにこずかれてなぁ。
押し合いへし合い会場に雪崩れ込んだっけ。
思えばオレ、15のガキだった。

永ちゃん、ジョニー、うっちゃん、ユウ。
今見てもかっけーな。
ぜんぜん古さを感じない。

ゲストに内田裕也が来てたなぁ。
ジョニーBグッドとか歌ってた(っけ?)
なぜか武田鉄矢も来てたなぁ。

ジョニーも裕也さんも亡くなってしまったなぁ・・。


最後は会場全体が興奮の坩堝と化す中、舞台セットが燃えて。
演出かと思いきやホントに燃えてて。
騒然とした中、会場と押し出されるように後にした。


この動画の中でクールスの舘ひろしが語っているけれど。
今やハズキルーペとかちょっぴり三枚目ふうだけれども。

このころはキレッキレだよなぁ。


1975年4月13日。
あれから44年か・・。

オレ、何やってきたんだろ。
今何やってんだろ。
これからどうするんだろ。

うーむ・・。

・・

とか思い出に浸って一日YouTube見て過ごして。
明日定年の日を迎える私です。。

(エレキギターは捨てられず残すことにしました)
(これじゃなかなか生前整理が進まないね苦笑)