TwilightSmile

 ~ 定年 another story ~

業務管理者移行講習を修了しました。

以前取得した賃貸不動産経営管理士(こちら)が国家資格になりました(こちら)。

“「移行講習(業務管理者移行講習)」を修了することで、法律第12条第4項の賃貸住宅管理業務を行ううえで、事務所ごとの設置が義務付けられている「業務管理者」の要件を満たし、現在取得している賃貸不動産経営管理士資格が法体系に基づく「国家資格」となります。”

とのことで、さっそく移行講習を受けました(こちら)。

インターネット回線を使用したeラーニング講習。
テキスト代、効果測定代込みで7,700円。
まあ、これだけで国家資格を得られるなら安いものです。

賃貸管理業業務管理者移行講習テキスト
 

テキストは薄っぺらい(120Pあまり)これ1冊。
一応通勤電車内でさらっと読んで予習してから講習を受けました。

講習動画はたったの2時間。
至極わかりやすい内容です。
すらすらと頭に入ります。

動画は最後まで見ないと効果測定を受けられません。
あと巻き戻しができないので集中して見てないとなりません。

業務管理者移行講習講習画面

効果測定も前編後編で各10問ずつ、YesNoで答えます。
テキスト見なくても答えられる簡単な問題ですが、テキスト見ながらも回答できます。
つまり超簡単な効果測定でした。

動画をテキトーに流して効果測定だけやってしまおう、ということも可能っちゃ可能ですね。(^^;
「私は」ちゃんとやりましたよ!

で修了証。

賃貸管理業業務管理者移行講習修了証
 

さて。
あとは修了後の登録申請だけなんだけど・・。
「業務管理者移行講習修了のお知らせ」というメールが届きそこには、

“修了後の登録申請等の詳しいお手続きについては、国土交通省のホームページをご参照ください。”

・・とのことなので国土交通省のホームページを探したけれど見つからない。
どうすれば国家資格として登録できるんでしょね??
(まだ国交省での準備ができていないのかなぁ)

・・

近況備忘録。

早くワクチン打ちたい私ですが、62歳のため我が町の自治体では未だ接種券が送られてこず、そのため先週大規模接種が64歳以下も予約可能になっても予約できず悔しい思い。中野区住民がうらやましかった。

まん延防止等重点措置延長。野球場の酒類販売はどうなるんだろう?
球団、飲食店関係者、そして何より売り子のアルバイトさん。
みんな困ってるよ。
野球場は入場制限して厳しいほど対策徹底している。
現場を知らず聞いた知識やパフォーマンスだけで制限するのはやめて欲しい。

オリンピックはなんとか開催にこぎつけそうですね。楽しみ。
国民として世界のアスリートをできる限り支援したい気持ちでいっぱいです。
応援しかできないけど。

にほんブログ村【 定年後の暮らし】 シニアブログランキング

間質性肺炎②(ターニングポイント)

今年(2021年)の最初の定期受診の際に、担当していただいていた医師が4月以降に転勤されることを告げられました。もともと某国立大学から来られていた医師。大学に戻り4月からは別の医師が来るとのことでした。
数年何事もなくただ経過観察をしていただいただけと言えばそれだけの関係ですけれど、それはそれで私の症状をよく分かっていただいていただけに正直残念に感じました。でも当方ではそう言われてしまったらなす術もありません。「はあ。そうなんですね、お世話になりました」とお伝えするばかりです。ただ気になることは、そう、次の担当医です。で、「次の先生はどうなりますか」と尋ねました。
するとまた同じ大学から別の医師が来るとのことで、「大丈夫でしょうか」と何気に漏らした不安に「大丈夫ですよ」と優しく微笑まれて決め打ちされました。そして割とあっさりとこれまでと同じように次回の予約を4か月後に取りました。

・・

さて4か月後の今日のことです。私は予約された日時にいつも通りに病院に行きました。いつも通りまた経過観察と言われるのであろう。医師が変わるだけで私は何も変わってはいないのだから。いつも通り診察前にレントゲン取ったり血液検査をしたりして。いつも通りに少し待って、いつも通りに看護師に呼ばれて診察室の中に入りました。

新しい先生は30代そこそこに見える若い医師でした。
簡単に挨拶して椅子に腰かける私。
すると先生、レントゲン画像を見ながら・・
いつもと違うこと を話し始めたのです。

「このままではこのまま、いつ悪くなるかも分からない。
そろそろ薬を飲まれたらいかがでしょう。
ただこの薬は高いんです。一錠6000円くらいします。
そのため医療ソーシャルワーカー(相談員)から説明があります。
診察の前に2階の患者支援センターにいって話を聞いてきてください。予約してありますから。」
と突然とそんな話をされたのです。

なんだなんだ、この先生。いきなり思いもしない展開。
そもそも一錠6000円てどんな薬よ?
いきなりすぎて何が何だかさっぱり分からない。

「え、そんな高い薬、飲まなくてはならないんですか?」

先生曰く、間質性肺炎は治す薬がない。
しかし進行を抑える薬はある。
オフェブという薬である。
この薬は悪くならないようにする薬である。
副作用は下痢である。
・・このままではこのまま、いつ悪くなるかも分からない。
ただ高い。なので費用面での説明を聞いてどうするか考えてほしい。
ということであった。

言われるままに指定の場所に行くと、若いソーシャルワーカー(相談員)がこちらへどうぞと。で、「指定難病医療費助成制度」という制度の説明をされました。それって、いきなりはじめて聞く話ですし、よく理解できませんでしたが、簡単に言うと認定されるといくら医療費がかかっても助成により月1万円程度で済むっていう制度らしいってことは分かりました。(はあそうなんですか)と答える私でした。

また高額医療費制度についての説明も受けました。
ま、これはFPの勉強をしていた関係上、知らないわけではない制度。ただしまさか自分がその制度を利用するなんて思いもよらなかったので、うろ覚えの知識。説明を聞きながら(へえそうなんですか)と他人事のように聞こえたものでした。
「ではよろしくご検討ください」、「はあ検討します」、てな感じで話は終わりました。

・・

そのあと診察室に戻り、呼ばれるまで診察室の外でしばらく順番を待ちました。
名前を呼ばれて診察室の中に入り腰掛けると、先生曰く、答えを待っていたとばかりに、「どうでした?」と。

「どうでしたかも何も、定年後の今の私に一錠6000円もする薬を飲み続ける経済力はないです・・。」と私は答えました。
そして少し考えて、「うーん、「指定難病医療費助成制度」、ですか、それが通って月1万円程度になるって言うんだったら、わが身のため、他を削って服用するのも吝かではないかもしれないですが・・。と言いますか、いますぐ結論は出せませんです。」
「そうですよね。」と先生。
私「はい・・。」(また少し考えて、思い付きで)「でもま、助成制度の申請はできるんならしてみたいと思います。月1万円程度になるんなら(それでもデカいけど)。でも自覚症状は全くないんですけどねぇ・・。」
先生「悪くなって自覚症状が出てからじゃ遅いんですよ、。では申請に必要な検査の予約をしましょう。・・(以下略)」

・・

病院を出た後、その足で保健所に行き、「指定難病医療費助成制度」申請に必要な書類の説明を受けました。

 

指定難病申請する方へ

指定難病申請書類

なんだか大変面倒なことになってきました。
まさにターニングポイント、転機来たり。でしたね、今日は。

そしてこれは私のもう一つの物語の第2章「辿り着いた町」こちらでの大きなターニングポイントになるのかもしれません。

にほんブログ村【 定年後の暮らし】 シニアブログランキング

間質性肺炎(はじまり)

そもそもの発端はもう10年以上も前の人間ドック結果でした。
「間質性肺炎(肺線維症)の疑い:経過観察」
50歳前後だったその当時(こちら)の私は仕事も多忙で、人間ドッグの結果を見ても、ふ~ん(だから?)って思うくらいでまったく気にも留めていませんでした。自覚症状はまったくなく普通に生活していましたし。

過去の人間ドッグの結果を探したら、2013年のものがありました(それ以前のものは見つからなかった)。これです。↓

2013年 人間ドッグ結果

2013年といえば54歳。部長となったかならないかの時期ですね。当然にこうした結果を受け取っても仕事に忙殺されて病院に行ってみようなんて思いもしなかったでしょう。
その後も毎年毎年人間ドッグでこの経過観察という結果が出てたけど、日常生活でなにか不具合があるわけでないし、悪くもなっていなそうなので、ずーっとほっておいたものでした。

・・

ところが数年後のある年、そう2018年1月の人間ドッグ、でD2要精密検査とでた。↓

間質性肺炎 人間ドッグ 58歳

曰く、呼吸器科を受診せよと。

2018年は59歳になろうとする年で、その年の暮れに当ブログは始まりました(こちら)。ここでの始まりの一節『暮れ往く陽に笑顔を見せて、終わらない歌を歌いたい。』には、今読み返すと実は間質性肺炎という伏線があったのかもしれないと気付かされます。

ともあれ人間ドッグの指示通り私は○○病院の呼吸器内科にゆき精密検査を受けました。その時の診察の結果は、結局「様子をみましょう」、でした。で、医師の勧めで3~4ヵ月ごとに経過観察のための定期健診を受けることになりました。

・・

 

それから数年が経過します。
私の人生は当ブログの内容の通り、定年再雇用辞退→1年近く無職→からの再就職、ともう一つの人生を歩みました。記事にはしていませんでしたがその間も、間質性肺炎については経過観察のため極めて定期的に受診を続けていました。

毎回受診のたびにレントゲンを撮ったりCTをやったり血液検査をしたりと検査をしましたが、その都度、医師は毎回毎回変わりなく、経過観察を続けましょうと言い次回の予約を取り診察を終える、ということが続きました。
レントゲン画像やCT画像は素人目に見ても何年経っても変化は見られませんでした。ましてや日常生活においては加齢による体力の衰えを感じることがあっても、間質性肺炎が原因だからこう、というように自覚することは一度たりともありませんでした。(脚注:今(2021/6/24)も自覚症状はありません。)
また毎年受けている人間ドッグも経過観察という結果は変わらず続き、私にとってのこの病気は結局何年たっても悪い方向に進むことはないのだな、変わらないのだな、大丈夫そうだなと思うようになっていました。
そんな折。突然と転機が訪れたのです。(つづく)

(直近の人間ドッグ所見↓2021/01/22)

間質性肺炎 直近の人間ドッグ所見20210122

(この時も経過観察となっていた)

 

◆◆◆◆(忘備資料)◆◆◆◆


【間質性肺炎】

『間質性肺炎(かんしつせいはいえん、英語: interstitial pneumonia、略称: IP)は肺の間質組織の線維化が起こる疾患の総称である。進行して炎症組織が線維化したものは肺線維症(はいせんいしょう)と呼ばれる。間質性肺炎は様々な原因で起こりうるが、特定の原因が断定できないものを特発性間質性肺炎と呼ぶ。
 特発性間質性肺炎は日本の特定疾患で、その予後は臨床診断によって様々である。例えば特発性器質化肺炎(Cryptogenic organizing pneumonia: COP)は一般に予後良好であるが、特発性肺線維症(idiopathic pulmonary fibrosis: IPF)及び急性間質性肺炎(acute interstitial pneumonia: AIP)については難治性である。』(出典: ウィキペディア(Wikipedia)→こちら

【特発性間質性肺炎】

『概要:肺は肺胞というブドウの房状の小さな袋がたくさん集まってできています。間質性肺炎は、肺胞の壁に炎症や損傷が起こり、壁が厚く硬くなるため(線維化)、酸素を取り込みにくくなる病気です。間質性肺炎の原因は様々ですが、原因不明のものを特発性間質性肺炎(IIPs)と総称します。IIPsは主要な6つの病型、稀な2つの病型および分類不能型に分類されます。 
 症状:初期には無症状のことが多く、病状がある程度進行してくると動いた時の息切れや痰を伴わないせきを自覚します。
 治療:病状がある程度進行したIPFでは、抗線維化薬(ピルフェニドン、ニンテダニブ)により病気の進行を緩やかにできる場合がありますが、効果には個人差があります。その他の病型のIIPsでは、多くの場合ステロイド剤(副腎皮質ホルモン剤)や免疫抑制剤が適応となります。病気が進行すると呼吸不全となり酸素吸入が必要になることもあります。』(引用:日本呼吸器学会HP→こちら

【この病気はどういう経過をたどるのですか】

『発性肺線維症の経過は個々の患者さんにより様々であるといわれています。一般的には慢性経過で肺の線維化が進行する疾患で、平均生存期間は、欧米の報告では診断確定から28 – 52ヶ月、わが国の報告では初診時から61 – 69ヶ月と報告されていますが、患者さんごとにその差は大きく、経過の予測は困難です。また、風邪の様な症状のあと数日内に急激に呼吸困難となる急性増悪が経過を悪化させることがあります。そのほかの非特異性間質性肺炎や器質化肺炎は一般に治療に良く反応しますが、中には軽快と増悪を繰り返し、徐々に悪化していく場合もあります。また、発症当初は特発性間質性肺炎と診断されても、しばらくしてから膠原病などの原因疾患が明らかになり、原因疾患に対する治療法で間質性肺炎が軽快することもあります。』(引用:難病情報センターHP→こちら) 

にほんブログ村【 定年後の暮らし】 シニアブログランキング

※「間質性肺炎」で検索して当ブログに辿り着いてくださった皆様へ。
間質性肺炎に関する記事はカテゴリー『間質性肺炎』(こちら)で一覧できます。
よろしくお願いいたします。


先週62歳になりました。

還暦を越えて2年。
また1年、歳を取ったのだな。
コロナ禍の渦中に蠢いてコロナコロナで過ごした1年だった。

自粛自粛と言われながら制限され暮らした1年だった。

昨年の誕生日のブログ(こちら)を見ると体脂肪率16%とある。
現在体重が2キロほど増え20%を超えている。
典型的なコロナ太りである。

踏み台昇降もいつしかやらなくなっちゃたしなぁ。

・・

最近老いを強く感じる。
ちょっとしたことをすぐ物忘れしてしまう。
思考力も散漫。
複数のことを一度に考えられない。

集中力も落ちてきた。
瞬発力もなくなってきた。
むろん体力も。

こうして人は終わってゆくのだろう。
人も生物だからな。
芽が出て葉を広げ蕾を持ち花を咲かせそして萎み枯れてゆく。

老いては若き日と同じようには生きることはできない。
若返ることはできない。
持てる有機体を労わりつつ生き永ろうしかないのだ。

こんな心境になる私はこの1年でぐっと年を取ったのかもしれぬ。

・・

残された時間は限られている。
やりたいと思うことは躊躇なくやりたいと思っている。
残念ながら強くやりたいと思うことが少なくなってきているようにも感じている。

定年して再就職して嘱託という立場になって落ち着いてしまったのだろう。
リスクを取って冒険する選択肢は今の私にはないようだ。
このブログを始めたころには起業するという方向性もあったのだが。

2018年の年末に始まった私のもう一つの物語(こちら)。
このまま余生を過ごして終わってしまうのかな。
うーん、それはそれで私の人生か。

ま。
今は、そして数年が過ぎた、というシチュエーションだからね。
このまま流してゆきませう。

にほんブログ村【 定年後の暮らし】 シニアブログランキング

宮城岩手被災地訪問旅行

東日本大震災から10年。その記憶は微かに失われつつあります。10年という節目の年に新たに記憶に刻み込んでおきたいと思い、5/1日~3日の3日間の予定で宮城岩手方面の被災地を訪れました。

折しも「まん延防止等重点措置」が適用され、「不要不急の都道府県間の移動の自粛」との要請をされている中で、こうした行動を批判的に思われる方もいるかもしれません。しかし、私にとっては今この時期(とき)の行動が必要であり、かつ、都道府県間の移動という枠組み自体に疑問を持っている者でもあります。感染予防は個々人における対策が重要であって、都道府県という境に線引きして行動自粛を求めるのは無意味、と考えているのです。

ということで。
私は人との接触を避け、延々とマイカーで被災地を回りました。

(以下写真付き記事)

続きを読む

「1年間のブログなどを振り返りませんか?」

早いもので60歳定年退職して来月で2年となる。
現在は再就職した職場でワークライフバランスを保ち、生活は割とストレスフリーである。

さてこのはてなブログの運営?から時折メールが届く。
「1年間のブログなどを振り返りませんか?」といった内容。
1年前と言えば・・こちら

『来年の今頃は。
オリンピックが近づいてどこもかしこもお祭りムード、繁華街は大盛況、観光地も大賑わい、超大型GWウイークは国内旅行も海外旅行も過去最高、世界中から日本を訪れる人も過去最高、世界中の人がみんなみんな活気にあふれて、みーんな笑顔で、今が嘘のように過ごせていますように。』(2020/4/21記)

・・結果はまったくダメだった。
どこもかしこもお祭りムードどころではない。繁華街は時短に酒類提供禁止だ。観光地も閑古鳥。GWは自粛せよと。海外からは誰も来ない。世界中はまだコロナが勢威を振るっている。

一昨年と比べるとどうだ。
こちらで書いているが、一昨年は平成最後の月で世はまさにお祝いムード。
令和元年GWは大型10連休で成田は大混雑、であった。

60歳定年し新しい物語をはじめて2年。
振り返ると激動のなか生き続けている自分に気づき、生きている実感がわく。
(ブログもなかなかいいものだな。)

さて来年は?どうであろう。
来年の今頃はすでに私はワクチンを打っている、とだけ予想しておこう。

・・

地域によって緊急事態宣言や蔓延防止なんちゃらが発出されている。
個人的にはこれまでずいぶんと意に従って自粛してきた。
だが、何度か経験するうちに私自身はそれらの効果に疑いを持ってきている。

プロ野球の無観客とかアルコール類の販売停止とか、百貨店の休業とか。
結局叩きやすいところを叩いているだけのパフォーマンスではないのか。

私の住む千葉はまんぼう地域だが、毎日の通勤は変わることなく混雑している。
テレワークだなんだというが、誰も従っていないしそれが当たり前。
まんぼう、何それ?

・・

賃貸不動産経営管理士が国家資格となりました(こちら)。
さっそく業務管理者移行講習に申し込みました。

インターネットでの講習2時間及び10分の効果測定で業務管理者になれます。
ちょっとおいしい国家資格かも。

ではでは。

にほんブログ村【 定年後の暮らし】 シニアブログランキング

平均寿命と健康寿命、私と妻の残された時間

令和2年版の厚生労働白書(こちら)によれば、2019年の男性の平均寿命は81.41歳(女性は87.45歳)。
現在61歳の私は平均的に生きればあと20年の命である。ただし2040年(20年後)の推計をみると83.27歳なので、推計によれば残り22~23年の命となる。

平均寿命の推移

出典:厚生労働省ホームページ (こちら

 

また令和元年簡易生命表の概況(R2/7/31厚生労働省)の主な年齢の平均余命 (こちら)をみると60歳の平均余命が23.97年であるから、令和元年(2019年)60歳の私がそこからあと24年ほど生きるとすると、2021年の今すでに2年経過し残り22年となる。

一方、平均寿命と健康寿命の推移を見ると、2016年で男性は平均寿命が80.98歳に対し健康寿命は72.14歳である。つまりは平均寿命から約9年を差っ引かなければならない、とする残り22年から9年引いて13年、74歳くらいが私にとっての健康寿命となる(あくまでも平均に沿った寿命だが)。

平均寿命と健康寿命

出典:厚生労働省ホームページ (こちら


つまりは。
私は余命22年(83歳)、人の手を煩わさず活動できる期間はあと13年(74歳)。

・・

現在53歳、8歳年下の妻。
2040年の女性の平均寿命(約90歳)まで生きるとすると、あと37年。
私が83歳で亡くなった時妻は75歳、そこから妻は15年独りで生きなければならない。

私があと13年(74歳)で健康体でなくなったとしたら、13年後妻は66歳、そこから9年75歳まで、私は妻に負担をかけつらい思いをさせるかもしれぬ。
残された命は限りあり、いつ果てるやもしれぬができるだけ長く健康に生きて、妻に苦労かけず、寂しい思いをさせず生きたいと思う。


あっと。
同じようなこと、以前も書いたな、と思い出しページをめくったら、、
ありました(笑)→こちら

日常生活の中で大切なことを忘れちゃっているんだよなぁ、オレ。
自戒します。(また忘れるかもしれないけど汗)

にほんブログ村【 定年後の暮らし】 シニアブログランキング